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学問のすゝめ vol.1~頭の悪い人ほど勉強せよ~
学問のすゝめ vol.2~福沢諭吉談~
「三角関数とか微分積分なんて、社会に出て一体いつ何に使うんだ? 」
「学問なんぞ実際の業務で使わないから、学生時代の勉強は無意味だ」
「勉強の出来不出来でなく、人間性をみてほしい」
これらは勉強ができない人の言いぐさに過ぎません。
やぐちのように、実際の業務で三角関数を使う職種もありますが、確かに使わない人が大半でしょう。
だから、大抵の学問には意味がない?
なんて言ってる人は相手の立場でものを見ることができていないので、会社の役には立ちません。
さて、就職活動における「学歴」に、採用活動をする企業は何を求めているでしょうか。
「学問」―その試験の点数にはどんな意味があるでしょうか。
それは、与えられた環境、テーマの中でどの程度の成果をあげられるかという業務遂行能力の指標なのです。
数学においては、教師の授業を聞き、教科書を読んで公式の使い方を理解し、問題文を読んで、解法を答案にまとめる。
企業に勤めたら、上司の指示を聞き、マニュアルを読んで作業の進め方を理解し、資料を作成して上司に提出する。
数学のテストでスコアが低い人と、満点に近い答案を作成できる人。
どちらが優秀な資料を作ることができるでしょうか?
数学は、論理的思考力、計算力、読解力、理論立てた資料作成能力が高い人が評価を受ける教科であるといえるでしょう。
それぞれ教科によって、必要な能力が少しずつ違います。
どの教科が得意かによって、得意な業務もある程度予想がつくわけです。
そして学歴が高いということは、これまで成果をあげてきたという実績を持っているということに他なりません。
また、皆が嫌がる勉強に対しても努力を惜しまず頑張ってきたわけですから、就職後も皆が嫌がる業務に対してきっと実直に取り組んでもらえるだろうと企業は考えるわけです。
これまでろくに勉強せず、「勉強は意味がないのでしなかったけど、仕事はきちんとやります」なんて抜かす奴の何が信用できますか?
「学歴社会は昔の話」というのは誤りです。
「昔と違って学歴だけで就職できるわけではない」というのが正しいでしょう。
確かに「勉強はできるけど仕事ができない人」では困ります。
ですから、最近の企業は大学名だけで採用を決めず、学歴+人格をみて検討するのですが、人格が同じなら学歴という実績の部分を評価するに決まっています。
学歴なんて意味がないなんて思っている人は、企業側の立場でものを考えられていないわけです。
企業の人事がどのようにして入社させる人を決めるか考えてみてください。
多人数の学生に対して、筆記試験や面接をするにはそれなりのコストがかかります。
その企業にとって、採用予定人数が10人だったとしましょう。
東京大学の学生20人と三流大学の学生100人の計120人からエントリーシートの提出を受けたとしましょう。
とりあえず東大生20人と面接をして、人格に問題のなさそうな10人を抽出できてしまったら、わざわざ三流大学の学生100人と面接をしようとは思わないでしょ?
そんな状況に立たされることも予想できず、勉学から逃げてた人、もしくは頑張ってもテストで点を取ることができない実績のない人は、企業も欲さないのですよ。
勉強ができるけど仕事が全然できない人はたまにいますが、勉強が全然できないのに仕事はすごくできる人もたまにしかいないのですから。
つづく