やぐち建築士の備忘録

日々思うところをつづるブログ

映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」を理解できないバカが多いらしい

広告

個人的には満足したので、特に何も言わないつもりだったが、こんな記事を見つけてしまった。 

 

nlab.itmedia.co.jp

 

↑理解できないなら、記事なんかにすんなよアホ。

 

 

※以下、ネタバレを含みます。

 

本作に対する否定的な意見を上げる人は、はっきり言って頭が悪い。

想像力が欠如している。

「私には、本作のテーマは響かなかった」

という感想なら、まだわかるのが。

 

 パパスの死、モンスターたちとの旅、ビアンカとの結婚、子供の誕生、母親の奪還――これら映画内の出来事はプレイヤーが体験しているVRゲーム版・ドラゴンクエストVの中での出来事であり、「ラスボス」であるコンピュータ・ウイルスによりゲーム画面(つまり作中時間)が完全に停止。主人公を除く主要キャラクターやダンジョンのテクスチャが剥がされ、「これはただのゲームだ。現実と向きあえ」といきなりあさっての方向への説教が始まるのだ。  

 

ゲームを、フィクションを、人生をここまで愚弄する作品を私は他に知らない。 

 

はあ。(ため息)

 

こんな感想がはびこっていて、このブログのコメント欄には、賛同の声が多数。

あのを観て、スタッフからのメッセージも読み取れない読解力しかないなら、そもそも映画なんか観るんじゃねぇよ。

 

さて、反論していこう。

 

「これはただのゲームだ。現実と向き合え」

というのをこの映画のメッセージだと勘違いしているバカ、そこに直れ。

 

映画内では、

「いつまでゲームやってんだよ。大人になれよ」

という台詞を吐く敵を、ロトの剣で打ち破るという演出だ。

つまり、このセリフを否定している。

 

つまり、「ゲームを否定するやつ」を敵視しているのである。

この映画のテーマとは、、、

 

確かにゲームは現実じゃない。

でも、そこで得た体験と感動は本物なんだ!

 

ということなわけだ。

 

これが読み取れないやつ、マジで頭大丈夫か?

 

広告

 

 

レディ・プレイヤー1を受けて

話は1年前にさかのぼる。

レディ・プレイヤー1というクソ・オブ・クソ映画が公開された。


『レディ・プレイヤー1』日本版予告 (2018年)

 

blog.yaguchimemo.xyz

あまりにムカついて、公開当時も記事を書いてた。

 

この映画では、ゲーム以外にとりえのない主人公が、ゲームを極めた結果、美人の彼女と56兆円の賞金を手に入れるという話である。

ムカつくのは主人公のセリフ。

 

現実だけが、本当のリアルなんだ。

 

ゲーム、マンガにはまったオタクたちに向かって、

「いつまでゲームやってんだ。現実をみろ」

 という、身もふたもないことを主人公が観客に向かって投げかけるのである。

 

そんなセリフ、

これまで何十年間も、オカンと嫁さんに言われ続けて、

こちとら聞き飽きてんだよぉぉぉ!!!

 

という怒りをぶつける先も失い、

「スピルバーグよ。。。

 お前もオタク側の人間じゃなかったのか。。。

 自分が成功したからって、裏切りがって。。。」

という悲しい気持ちを抱えたまま、あれから1年はらわた煮えくり返る気持ちを押し込めてゲーマーたちは生きてきたわけだ。

 

青春時代、リア充たちに蔑まれている間も、ゲームだけが心の拠り所だったのだ。

にもかかわらず、それを全否定してくるメッセージに胸が締め付けられる思いをしたのだ。

 

それを、本作では、打ち崩してくれている。

 

ゲームが現実じゃないことぐらいこっちだってわかってるんだよ!

そんなことわかってて、ゲームを楽しんでるんだよ!!

あの時の俺たちの感動まで否定してんじゃねぇぇぇ!!!

 

という、俺たちゲーマーの心の声を代弁してくれているというわけなのだ。

 

あー。

ちょっとすっきりした。

 

ラスボスの改変について

お次は、「ラスボスをなぜ単なるミルドラースにしなかったのか問題」である。

これはいろいろ苦労しただろう。

これは、ラスボスをミルドラースにしてしまうと、それを打ち倒すのは、話の流れ的に天空の剣を装備した勇者=息子の役割になってしまうからである。

つまり、ラストシーンで「主人公=自分」は指をくわえてみているだけという話にならざるを得ない。

しかし、映画的に、ラスボスは、「主人公が打ち倒すのが当然である敵」でなければならないのである。

そこで、ゲームに侵入したウィルス=ゲーマーたちの共通の敵をラスボスに祭り上げたわけだ。

これで、ラスボスを打ち倒すのが主人公でも至極自然な話になる。

ストーリー設定と演出が見事にマッチしている。

 

ここで、ドラクエ5のストーリーなのに、ラストの剣がロトの剣(ドラクエ1~3)だとか、エンディング曲がドラクエ2だとか、統一性がないなどのクレームを言ってるやつがいる。

にわかが。

ゲームを否定するヤツを、ドラクエの全エピソードをぶつけて打ち倒すんだからこの演出なんだよバカ!!

 

ストーリー改変について

2時間の尺にまとめるためには、親子3代のエピソードは困難だと思っていた。

残念だが、息子が天空の勇者だというのを盛り込むとタイムオーバーになるから、てっきり主人公を天空の勇者だという設定に変えて挑むものとばかり思っていた。

そうでないと、ラスボスを主人公が討てないし。

だが、オープニングからSFCの映像を使ってうまく時間を省略して、息子の誕生→天空の剣の覚醒を描いた点は大きく評価したい。

 

最後に

この映画は、

 

1)リアルがうまく行かず、ゲームに逃げて、没頭して、さみしい青春時代を送った

2)それでも、そんな人生を何とか肯定して生きてきた

3)それをレディ・プレイヤー1に全否定されてムカついた

4)それに反論してくれた!!

 

というチャートを経た上で得られる感動なのだから、

そもそも万人には届かない。

 

だが、たとえ届かなくても、「ああ、そういう人向けへの映画なんだな」ということさえ理解できないバカたちは所詮バカなので本質を理解することはできないのだろう。

そんなヤツらは、もう一生ドラクエやらなくていい。

お前みたいなやつは、ドラクエやっても結局俺たちほどの感動を得られてないのだろうから。

 

それと、

ビアンカ

ビアンカの乳デカすぎね?

 

広告